天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

速読実践5【暴力の人類史上 スティーブン・ピンカー】☆ビル・ゲイツ愛読書を速読できるか??

なぜ、山に登るのか?「それはそこに山があるからだ」という言葉があります。

私が本を読む理由はその感覚に近いのかもしれないなぁと思うことがあります。

あんまり目的ってないんですよね〜。勉強のために読むとか、何らかの行動をするために読むとかではないんですね、たぶん・・・・・・。

なんだろう?食欲、睡眠欲、性欲の次ぐらいにある根源的な欲求みたいな感じ?

三大欲求のように生きていくのに必要不可欠とまではいわないですけれど、なんとなく読まずにはいられない、だから読む・・・みたいな。

で、そんな4番目の欲求を持っているもので、読みたい本というのは無限大に増殖していきます。なので少しでもたくさん読めるように読書術を研究しているわけです。

ということで自己流速読術研究の5冊目です。

今回読んだのはこちら。

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

 

 読もうとしたきっかけはこちらの記事を読んだからです。

 本の内容にも興味をそそられましたが、同時にビル・ゲイツという人がどんな本を面白がるのだろうか?ということにも興味津々・・・。

gigazine.net

ついでに暴力というものが大きなテーマだったこの本にもスティーブン・ピンカーに関する記述がありました。

lifeofdij.hatenablog.com

で、この本、分厚いですね。上巻だけで、652ページ。パラパラと捲ってみても相当手強そう。とりあえず、普通読みで250ページまで読みました。時間は計測していないですけど、けっこう時間かかってます。

で、今日明日中くらいには読み終わらなくちゃならないんですよ。

なぜかというと、この本は図書館から借りた本なんですね。(自分に読めるか不明の本に4200円の投資はきつかったので・・・)

ということで今から残りを読んでいきます。メトロノームのテンポは100から。1行読みで止まらずにいきたいと思います。400ページを2時間でいきたいと思います。果たして頭に何か残るものはあるのか?それともまったく無意味な2時間になるのか?

↓↓↓

読み終わりました(というかとりあえず全ページめくりました 笑)

 ということで今回の速読データ。

1ページあたり47✕19=893  けっこう文字はつまってて8掛け、893✕0.8=714文字

残りの400ページ✕714=285600文字。

これを1時間26分(86分)で読みました。

ということで1分間あたり3320文字

理解度2(10点満点)響き度4(10点満点)本の難易度9(10点満点)

というところです。わからない部分があってもどんどん進んでいったので、理解度はかなり低いです。だけど、書いてある内容にインパクトがあったせいか、ところどころに響くところはありました。

このくらいのスピードでもっと理解度があがればいうことないんですけどね。自分的には速読といっても、パラパラとページをめくるだけで、ある程度読めちゃう、というレベルは全く求めていないのです。

ある程度の難易度の本を1分間あたり3000文字程度で読めて、書いてある内容を自分の言葉で要約できるくらいになれればいいなぁ、というところです。

しかしそれ自体が可能なことなのか?それともそもそも無理な話なのか?そのあたりはさらに検証していきたいところです。

さて、内容のほうですが、やはりとても興味深いです。人類が文明というものを始めた数千年単位で考えると、人間社会はどんどん暴力が減ってきている、ということを様々なデータから実証するという内容の本になります。

つまり、悲劇は今も世界のあちこちで起きてはいるけれど、全体的には人類は正しい方向へ向かっている、だから過去は良かったとか、なんとかいってないで、どんどん平和な世の中を作るために前進しよう、という著者の主張の一冊である、と私は受け取りました

 ニュースメディアなどで凶悪事件に関する報道なんかを見たりすると、最近世の中がどんどん殺伐となってきて、暴力的になってきたよなぁ、なんてことを感じたりすることもあるわけですが、実はデータを元に検証してみれば、広い意味での暴力というものは確実に減ってきている、ということなんですね。

で、なぜ暴力が減ってきたのかというと、国家というシステムの整備が進んできたことや、印刷技術の進歩により、識字率の向上、それが自分以外の他者に対する痛みへの共感を持つことにつながったから、つまりテクノロジーによって人の痛みを想像できるようになったから、ということなんですね。

そういわれてみると、今現在のインターネットでつながった世界。これも自分以外の遠い場所や立場にいる人間の心や身体的な痛みを想像することが可能になった世界ということもいえますよね。もしかしたら、第二次大戦が人類にとって最後の大きな戦争であったのかもしれない、ということも著者も書いていますが、たしかにネットを始めとするテクノロジーを人類全体の相互理解のためにうまく活用することができれば、本当に戦争という暴力を根絶することも可能になるのかもしれません。

と、こんなことを書いていると、この本、理想主義的な本なのか?と思われるかもしれませんが、全くそんな甘っちょろい本ではありません。

過去において我々人類がどれほど、暴力的で残酷な歴史を重ねてきたかのか?という事例がこれでもか、これでもか、と書き連ねられいて、読んでて心が痛くなる箇所もあります。しかし、そんな現実をしっかりと見据えた上での希望を著者は書いているわけで、そのあたりの地に足の着いた現実的な理想主義みたいなものが、ビル・ゲイツさんのような方の心を動かしたのかなぁ、なんてことも思いました。

 いつか、時間のあるときにじっくりと時間をとって再読したい一冊です。 

 

追記

聖ラウレンティスはのちにコメディアンの守護聖人となるが、それは彼が鉄網の上で、「こちら側はもう焼けたからひっくり返して食べてみるといい」と言ったとされるからだ。拷問官とはお笑いのツッコミであり・・・p51

 

ほとんどの哺乳類ではオスはメスに比べてより競争心が強いだけでなく、ホモ・サピエンスの男性の場合、序列の地位を確保するには良い評判を得なければならない。そのためには生涯にわたる投資が必要であり、それは成人期の初期にスタートしなければならない。

もっとも男性の暴力はスライド式に調節される。男性はそのエネルギーを、女性を手に入れる機会をめぐって他の男性との競争することから、自分で女性に求愛すること、そして子孫に投資することまで、連続体上のいずれかの目盛りに合わせて調節することができるのだ。生物学者はこの連続体を「CAD(不良男)対 DAD(子育て男」とも呼んでいる。男性の数が圧倒的に多い社会生態系においては、競争に勝ち、数少ない女性に求愛できる立場を得るためには序列の上位に立つことが必要条件であり、したがって個々の男性にとって粗暴なCADに目盛りを合わせることが最適となる。また女性の数がもっと多くても、一部の男性によって独占される可能性のある環境では、やはりCADであることが有利になる。こうした状況では、命をかけた賭けに出てもそれに見合う価値があるのだ。

〜中略〜

他方、子育てに投資するDADが選択されるのは、男女が同じ数いて、一夫一婦制である社会だ。そうした状況では、男性が暴力的な競争をしたところでなんら生殖的な利点はなく、それどころか大きな不利益が生じる。自分が死んでしまえば、子孫を守ることができなくなるからだ。 p203

 

立証不可能な信念をもつことのより大きな危険は、それを暴力的手段によって守りたいという誘惑が生まれることにある。人が自分の信念に固執するのは、その信念の正当性によって自らの能力が証明され、権力者であることが委ねられ、人々を指揮する権限が正当化されるからだ。だがそうした信念が「信じること」によって成り立っているとき、その信念は常に脆弱なものとなる。

〜中略〜

こうした信念にもとづいて生活している人々が、そんな信念をもたないひと(それどころか自分たちの考えに説得力をもって反論する人)がうまくやっているのを知れば、自分たちが馬鹿に見えてしまう恐れを感じる。信じることでのみ成り立つ信念を、懐疑的な人に向かって真実だといくら言ったところで説得できないから、信じる者は信じない者に怒りをもって反応しがちである。そして自分たちの生活に意味を与えているものとはかけ離れた、異質なものを排除しようとしかねない。 p264