天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

エンタメ小説界の大エース宮部みゆきの荒神は最悪を想定しつつ最善を尽くすモダンホラー時代劇だった。

 

荒神 (新潮文庫)

荒神 (新潮文庫)

 

 最近ドラマ化もされた宮部みゆきさんの小説【荒神】を読みました。この小説は一言でいうと江戸時代の東北地方にゴジラのような怪物が現れた!という話です。それだけ聞くとかなり荒唐無稽なストーリーです。ところが、宮部さんが書くと、どんなに突飛でファンタジックな設定であろうとも、ふわふわした話にはならないんですね。いってみれば地に足の着いた重みのある小説になるんです。その地に足の着いた感覚はどこからやってくるのか?そのあたりを少し考えてみたいと思います。まずは、この本を読み進めていったときの私の感覚の変化から・・・。

 序盤。なにやらとんでもないことが起こっているようだけど、いまいち物語世界に入りきれない。どこかツカミが弱く感じられる。だけど、多少無理をして(宮部みゆきへの絶対的信頼性を頼りに)読み進める。

中盤。ついに怪物が姿を表す。圧倒的な筆力で怪物の恐ろしさが描かれていて物語世界に完全に入り込む。これはとんでもない傑作ではないのか?と思い出す。

終盤。物語の背骨となっていた大きな秘密が開示され打ちのめされる。すげぇなと思い、どんな形でこの物語に決着をつけるのだろうか?と期待度がMAXに高まる。

ラスト。う〜ん。ラストこうくるか?驚きと同時にもっと救いのある解決にしないのはなぜなのか?とも思ったりもする。

読後。やはり話の決着のさせかたにもやもやして、自分で別の解決方法を考えたりもする。しかし、その読者に考えさせるということこそが、もしや宮部さんの狙いだったのではないのか?ということにも思い至る。

宮部みゆきさんの小説は優しさに満ちています。良い人がたくさん出てくるんですよね。登場人物は心に優しさと温かさを持った人がほとんど。

だけど、宮部作品には、必ずと言っていいほど、絶対的な悪人というキャラクターも出てくるんですよね。で、その悪の力はとても強くて、優しくて温かい人たちを悪の側に引き込もうとする。

そして悪と善との区分けを疑わせる。優しい人たちが大事にしている、その正しさは本当に正しいのか?と問いかけてくる。なぜなら悪とはたいてい、優しき人たちが大事にしている「正しさ」が形をかえたものにすぎないからだということも描かれる。

そのあたりなのかもしれないですね。冒頭で書いた地に足の着いた感覚というのは。何も考えない楽観とか希望ではないんですね。悲観主義者以上にネガティブなことを考えたうえで、どうしよもない悲劇や手も足も出そうにない悪の力に対して、どのように対処していくのか?を宮部みゆきは描いていると思うんですね。

悪を見て、感じた上で、それでも結局、前に進まなくちゃしようがないじゃないという人間という生き物のもどかしい動き、つまり宿命が描かれている。

だから、この作品においても、ふわふわした夢のような解決を描かなかったのかな?なんてことも思います。

つまりエンタメ小説という枠の中で「最悪を想定しながら最善を尽くす」ことを書いているのが宮部みゆきさんの小説だと思うんですね。

そのとても大変な仕事をずっと長い間粛々と続けている宮部みゆきの凄みを改めて感じた今回の読書体験でした。やっぱり宮部さんは日本エンタメ小説界の不動の大エースだよなぁ、ということも改めて感じました。