天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

元祖ライフハックの達人ロビンソン・クルーソーのノート術

 

ロビンソン・クルーソー〈上〉 (岩波文庫)

ロビンソン・クルーソー〈上〉 (岩波文庫)

 

 ロビンソン・クルーソーの最初の100ページくらいを読んだんですが、無人島での生活がなかなか始まりません。前置きが大体60数ページ続きます。サバイバル生活を読むのを楽しみにしていると少々スカされてしまいます。だけどさくさくと読み進みました。なぜなら島に着く前からすでに面白いからです。その面白さのポイントはふたつあります。まずひとつめは・・・。

ロビンソン・クルーソーのお父さんの説教が面白いし説得力があるんです。

お前の身分は中くらいの身分でいわば下層社会の上の部にいるというわけなのだ。自分の長年の経験によるとそれくらいいい身分はないし、人間の幸福に一番ぴったりあってもいるというわけなのだ。身分のいやしい連中のみじめさや苦しさ、血の滲むような辛酸をなめる必要もない。身分の高い連中につきものの奢りや贅沢や野心や妬みに悩まされる必要もない。こういう身分がどんなに幸福なものか、ほかの連中がどれほどうらやましがっているかということを考えただけでわかりそうなものだ。

〜中略〜

よくみてみるがいい、と父はいった。人生の不幸をしょっているのは社会の上層と下層のものに限られている。

身も蓋もない話ですけど説得力はありますよね。17世紀も今も、社会の構造や人の幸福度も、幸福に対する尺度も、あんまり変わらないんですかね?そして親と子の意識のズレっていうものも。で、これって幸福に対する『限界効用逓減の法則』の話と近いとも思いました。

gendai.ismedia.jp

で、なんでこんな説教からはじまるかというと、ロビンソン・クルーソーという当時18歳の青年は自ら、止みがたい放浪癖がある、と語るほど、ひとところに落ち着けない人間だったんですね。

彼は英国中産階級の三男坊です。ところが上の兄がふたりともすでに他界している。だから家を継いで法律家になってほしいという親の期待を背負っていたんですね。ところが、前述したとおり、どうにも自分には止みがたい放浪癖のようなものがあるので船乗りになりたい!と駄々をこねるんですね。

そこで親父の説教が始まるというわけです。今の時代の感覚であれば子供が自由に生きる、という権利を主張するのは当たり前かもしれませんが、この物語の舞台は1650年ですからね。ちなみにお隣フランスでの革命が1789年。(ロビンソン・クルーソーという本が刊行されたのは1719年)今の感覚とはかなり違うのではないかと思います。

ロビンソン・クルーソーが刊行されたのはこんな時代。日本では暴れん坊将軍が大暴れしていた時代。フランスではルイ14世がお亡くなりになったあたり(三銃士の20年後を描いた鉄仮面に出てきますね)

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だけど、パパ・クルーソーの熱い説教も通じずに、ロビンソン・クルーソーは親に声もかけずに勝手に船にのって旅に出てしまうんですね。で、その船が難破して・・・というわけでもなくて、ここから色んな経験をするんですよ。アフリカで捕まって奴隷にされたり、ブラジルに渡って農園主になったり・・。その農園はそれなりに有望で、このままいけばおそらく金持ちになるだろう、というくらい順調にスタートするんですが、ここでもやはり、放浪癖というのがむくむくと湧いてきて旅に出てしまうんですね。そのあたりの自分のどうしようもない冒険心というか、無謀さを自身で分析しつつ書いていたりする箇所もあるんですが、なんかギャンブル依存症の人の独白を読んでるようでリアルです。

で、期待通りというか、待ってましたというか、その無謀さがきっかけでロビンソン・クルーソー無人島にひとりきりで流されてしまいます。ここからふたつめの面白ポイントがやってきます。それは、元祖ライフハックの達人としてのロビンソン・クルーソーの面白さです。超合理的な思考の持ち主なんですね。そして生産性バリ高。具体的に言いますと例えばこのノート術ですね。こんな感じです。

私は(ノート)に公平に、簿記でいう貸方を借方といった具合に、自分が恵まれている有利な点と、苦しんでいる不利な点とを次のように対象してみた。

 

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 一人きりで無人島に流された状況を冷静に分析するために、船で発見したノートに現状を良い点と悪い点、両方の視点から考えて文字で書いてみる、ということをしたんですね。

すると、たった一人で寂しいけど、反対から考えれば自分が生き残れたというのは奇跡的なことだ・・・みたいな。

これって頭の中の考えをノートに記して視える化するっていう、現代でも有効なノート術ですよね。すでに17世紀にロビンソン・クルーソーはノート術を実践していたという発見。これがふたつめの面白ポイント。

余談ですが、同じようなかんじでノートを使っていると言えば、村上春樹風の歌を聴けにもありますね。

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風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

で、ロビンソン・クルーソーの真の冒険はやっと、これから始まるわけですけど、この話、最後どうなるんでしたっけ?まったく記憶にないんですよね。フライデーという友人が出てきたことと、危ない部族が出てくるみたいなことだけはぼんやりと覚えてるんですが・・・続きが楽しみです。

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