天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

文豪森鴎外の舞姫はイヤミスか?という話。

 

現代語訳 舞姫 (ちくま文庫)

現代語訳 舞姫 (ちくま文庫)

 

 はじめて森鴎外を読みました。夏目漱石は好きなので多少読んでるんですけど、同時代の鴎外はなんとなく苦手でした。なんか、お固いイメージがあって。それに森鴎外ってスーパーエリートですよね。加えて顔写真もたぶん文豪界随一の怖さだし(笑)

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で、そんな偉そうな人の本は読むのはキツイなぁ、ついでにページを開いときの、文章の字面からして、漢文ぽいというのか、古文みたいというか、見ているだけでこれ無理そうって思ってしまう。だから、ずっと鴎外は読んだことがなかったわけです。

ところがこのちくま文庫井上靖が読みやすく現代語訳をしている本なんですね。すごく読みやすいです。で、驚きました。鴎外自身がモデルの一人であるという主人公太田豊太郎という人物がけっこうダメダメなやつで親近感が湧いてくるんですよ。

そしてこの話、高尚で偉そうな気高い名作とかなんかではなくて、読み始めると、読みたくもなないのについつい最後まで読んでしまうという謎の吸引力をもつ現代のイヤミスみたいだ、と思ってしまいました。つまり、文豪界ナンバー・ワンの強面森鴎外のデビュー小説はイヤミスだった!という話。

 主人公の田豊太郎は明治時代に国の金でドイツに留学させてもらうってくらいの、エリート。だけど、これがまた不器用というか、うまく生きることのできないタイプ。具体的に言いますと、同じ留学生仲間がバカ騒ぎをしていても入っていけない性格。

となると、バカ騒ぎしている奴らからすると、ちょっといけ好かないということにもなりますね。本人はそんなつもりもなくて、単に尻込みしているだけなのに・・・。だけどそのあたりの豊太郎の性格がこの小説で描かれる悲劇を作ります。

といいますのは、豊太郎君朴念仁かと思いきや、ダンサーであるドイツ人少女エリス恋に落ちるんですね。で、それを例のバカ騒ぎしていた連中に知られて嫉妬されちゃうんです。そして彼らはお国の上層部に告げ口するんです。豊太郎という男は国費で留学しておきながら、女にうつつをぬかしている、と。その結果、豊太郎は留学にかかる費用を今後打ち切られることになる。

といっても、豊太郎からすると、今日本に帰ってもどうにもならない。しかしドイツにいても住む所も仕事もない。どうしよかと、うじうじしていると、エリスが自分の家に住まいないかといってくれる。そして先に日本に帰った親友の相沢という男が新聞社のドイツ支局の仕事を紹介してくれる。おかげで豊太郎は仕事にもやりがいを感じ、エリスとの関係も絶好調。

そんなときに相沢が大臣の秘書役みたいな感じでドイツにやってくる。そして、大臣からの翻訳仕事を豊太郎にまわす。相沢は大臣に豊太郎の能力を認めさせ、ゆくゆくは大臣の力で豊太郎を帰国させてやろうと気をきかせるんですね。

で、豊太郎も、もともと能力バリ高ですから、大臣のロシア訪問に通訳として同行して期待以上の働きをみせる。そして大臣に気に入られて、日本に帰ってこいと命令される。

それは豊太郎にとってありがたい話ではあるんです。だけど豊太郎にはエリスがいる。そしてエリスは豊太郎の子供もお腹に宿している。

そんな状況の豊太郎に対して、相沢は情にながされず、いますぐ女と別れて日本に帰るべきだと説得する。このチャンスを逃したら一生悔やむぞと。優柔不断な豊太郎はついつい相沢の忠告にうなづく。わかったよ、エリスとは別れると。しかし・・・という話なんです。

 

で、これがなんでイヤミスかといいますと、ラストでの重すぎる一行になんともいえない後味の悪さが残るところがとてもイヤミスなんです。加えて、イヤミスのミステリーの部分。つまり謎とその解明という部分も強いですね、この作品。

考えてみればそもそも鴎外はお医者さん。で、お医者さんといえば、ある病があるとしたら、その原因を突き止めて、患者を回復させるというのが仕事。当然、鴎外にはそのような思考パターンというのがあると思うんですが、この作品中の豊太郎にもその思考パターンがそのまま現れています。

具体的にいいますと、自分の心はとても苦しい。心の中には言葉であらわせないほどのなにか病のもととなる何か?がある。それがこの舞姫の冒頭で掲示される謎。それを言語化する、つまり語り手である豊太郎が自分がドイツで行ったことを書き記すことによって病の原因となる何かを見つける、つまり自分の心という謎を自分という探偵が推理する、というのがこの小説「舞姫」の構造のようです。

そしてその結果現れてきてラスト一行で出てくる何かはあんまり直視したくないものであって、それがまさにイヤミスのパターン、怖いものみたさと近いと思うんですね。だから、この舞姫イヤミスだなぁと思った次第です。

で、この作品は書かれた後の逸話も興味深いのです。まず、鴎外のことを日本まで追いかけてきたエリーゼというドイツ人女性が実際にいたということ。だけど、鴎外は家族の反対もあり、一度だけしか会えなかったらしいです。そして当時は当たり前だったんでしょうけど、鴎外は家の都合での結婚をすることになる。

だから、世間的には鴎外(森林太郎)にドイツ人女性女性の恋人がいる、なんてことはスキャンダル以外のなにものでもなくて、家族にとっては隠しておきたいことだった。それに鴎外自身にとっても今後の出世を考えるならば、なかったことにしておいたほうがよいこと。

なのに鴎外はわざわざいかにも自分がモデルであるとはっきりわかる話を小説として世間に発表するんですね。で、驚くことに発表前に家族の前で鴎外自身が書き上げた舞姫を朗読までしたらしいです。

さらには鴎外は死ぬ直前に遺書を書き上げて、相沢のモデルと言われる男に親戚中の前で朗読させたらしいです。遺書の内容は死ぬ時は軍で葬儀をしてもらいたくない、そして死後の昇進は辞退させてくれということ。軍医トップという公人ではなくて、個人である森林太郎として死にたいからということが書いてある。このエピソードを聞いたとき、うわぁ〜と思いましたね。舞姫のラスト一行とその逸話を重ね合わせると。そして、なんか森鴎外っていう小説家は思ってたイメージの人とは全然違うんだろうな、という気がします。で、他の作品も読みたい、ついつい読んでしまいそうだ、とも思いました。

出口汪先生のサイトがとても勉強になりました。

http://www.deguchi-hiroshi.com/bungaku.html