天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

 我々がAmazonやGoogleに支払っているものは何か?

 

1984

1984

 

 『我々がAmazonGoogleに支払っているものは何か?』

AmazonFIREスティックは優れものである。テレビのHDMI端子に差し込むだけで付属のリモコンを使い映画を簡単に見る事が出来る。映画を見るのも楽しいが、それ以上に私が利用しているのが、プライムミュージックである。FIREスティックはプライムミュージックもテレビ上で楽しめるのだ。

私が聴くことの多い古めのロックやジャズのラインナップも豊富だ。1950年代のジャズから1990年代のロックをリモコンで次から次へと聞き流していく休日の午後は時に不思議な感覚にとらわれることがある。

例えば昨日のことだ。音楽のザッピングをしているうちに、自分にとって忘れられらない思い出深い曲と偶然再会した。私が生まれて初めて買ったシングルレコードの曲だ。その曲を聴いているうちに意識が30年前に戻っていった。私はその当時その曲を聴くために1ヶ月の時間をかけたのである。かけたというよりも物理的に1ヶ月の時間が必要だったのである。今の若い人たちに信じられるだろうか?

 1984年中学生だった私はある土曜の夜、夜更かしをしてテレビを見ていた。洋楽のビデオを流すベストヒットUSAという番組だ。そこで出会ったある曲は私にとって何かのスタートの号令のようにも聴こえた。シンセサイザーという当時では、まだ最新式の楽器を使ったイントロから始まるその曲に私は思い切り惹きこまれた。聴いたこともない、魔法のような音色のギターソロと、ヴォーカリストのどこまで飛んでいくんだ、
っていうくらいの高さの開脚ジャンプに衝撃を受けた。

私はなんだかわからないけど、そのジャンプを見てこのままじゃあいけないと思った。
予備知識無しにいきなりこの映像を見たので、誰のなんという曲なのかは聞きもらした。もう一度聴きたいと思ったが手がかりはなかった。

そわそわした週末が終わり、月曜になり学校に着くと友達にあの曲を知っているか?と尋ね回った。誰もその番組を見ていないのでわからなかった。そのうち数日してから仲の良い友達が隣のクラスの男を私の前に連れてきてくれた。洋楽に詳しいのだという。それでその曲がヴァンヘイレンの「ジャンプ」という曲だという事がわかった。

その日の放課後、町にある唯一のレコード店へ向かった。シングルレコードの棚で目的のレコードを見つけた。背中に翼が生えた赤ちゃん(つまり天使という事なのだろう)がタバコを指に持っているというジャケットだった。本当にその曲か自信がなかったので試聴させてもらいたかったが、レジの奥に座っている50代くらいのちょっと怖い雰囲気のおばさんに話しかける勇気もなかった。それにその日私はお金を一円も持っていなかったのだ。

小遣いをもらえるのは1週間後だった。月額1000円の小遣いだ。その日がやってくると、私は1000円札を持ってレコード店へ自転車に乗って急いだ。家に帰りジャケットを表から裏から眺めたり、レコード盤本体を取り出して顔を近づけたりした。アナログレコードは独特の匂いがする。鼻を近づけたりして楽しんだ。しかしその曲を聴くことは出来なかった。当時、家にはレコードプレイヤーがなかったのである。ようやく聴けるようになったのは、テレビで初めてその曲と出会ってから1ヶ月後だった。親に30年分以上先までの親孝行の空手形を振り出し、近所の電気店に注文してもらった真っ赤なミニコンポがその日家に届いたのだ。私はレコードを傷つけないように慎重にターンテーブルに乗せて針を落とした。そして少しだけザラついた音色のシンセサイザーのイントロで始まるその曲を聴いた。ジャンプしたいくらい嬉しかった。

今はもちろん音楽を聴くのにそんな手間も時間も必要ない。聴きたいと思った音楽を聴きたいと思った瞬間に聴く事が出来る。何かを知りたいと思ったらGoogle先生が大抵の事は教えてはくれる。とても便利だ。GoogleAmazonが私たちの不満や問題を極めて安価な値段で引き取ってくれたのだ。あらゆるビジネスは誰かのなんらかの問題を解消するものである。AmazonGoogleが私たちの不満や問題をどれほど解決してくれたのか数えきれない。

だけど時々私は考える。こんなに安い金額でここまでしてもらっていいのかとAmazonGoogleがわたしたちに求める料金はとても少ない金額に思える。疑い深い私はたまに思うのである。なんか話が上手すぎないかと(笑)

例えば前述したある一曲を聴くための一ヶ月間という時間。その節約されたはずの一ヶ月はどこにいったのだろうか?その増えたはずの一ヶ月という時間に私は何をしていたのか?世界中で節約されたはずの1か月間×70億という時間はどこへ行ったのか?

こんなことも考える。ジャンプしたいと思えたあの瞬間の爆発的な喜びの対価というものがあの一ヶ月という時間だったのか?時間と手間をかけたほうが、つまりプロセスこそ感動なのである、というほど答えは単純なものではないような気がする。

我々がGoogleAmazonに支払っているものは何なのか?今のところ私にはその答えがわからない。メディアとの付き合い方は最近よく考えているテーマである。そしてあの一ヶ月の時間は何だったのか、どこへ行ってしまったのか?その謎がいつか解ければいいなあと思っている。

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2017/01/30