天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

ぬいぐるみとかおもちゃは子どもたちに何を与えてくれるのか?という話。

 

チヨ子 (光文社文庫)

チヨ子 (光文社文庫)

 

この本は短編集なんですがタイトル作の「チヨ子」という作品はぬいぐるみがモチーフの不思議でちょっと怖いそして考えさせてくれる短い小説なんです。そして、なぜ人はこども時代にぬいぐるみやロボットなどのおもちゃを必要とするのか?という疑問に対する答えが考察されていて考えさせられる小説です。

(注)以下ネタバレありで私なりにストーリーの要約。


女子大生の「わたし」がデパートのアルバイトに応募する。屋上で薄汚れたうさぎのぬいぐるみを着て風船を配ってくれと言われる。わたしはイヤイヤながらぬいぐるみを着てみる。すると不思議な光景が目に飛び込んでくる。デパート中に灰色のクマのぬいぐるみやガンダムのおもちゃみたいなものが平気な顔をして闊歩しているのだ。

 

私は驚いてうさぎのぬいぐるみを脱ぐ。するともうデパートは普通の空間に戻っていた。さっき話しかけてくれたパートのおばさんや小太りの店長とか親子連れのお客さんとか杖をついた老夫婦たちがいるだけだ。

 

で、私はもう一度ぬいぐるみをかぶる。するとまたクマのぬいぐるみやガンダムが見える。そして自分の姿が映った鏡を見るとそこには懐かしいぬいぐるみの姿があった。「チヨ子」と名付けてわたしが子供の頃一緒に遊んだぬいぐるみだった。そういうことだったのか?と私は気がつく。

 

パートのおばちゃんに昔灰色のクマのぬいぐるみ持ってました?と聞く。どうしてわかるの?と驚かれる。小太りの店長にガンダム好きでした?と聞くと当たり前じゃん、僕はファーストガンダム直撃世代だよ!と熱くガンダムについて語られ始める。

 

そうだ、このぬいぐるみを着るとその人が子供のころ一緒に遊んだ大事な分身でありパートナーであるおもちゃが見えるようになるんだ!楽しくなった私は店内をうろうろする。いろんなぬいぐるみやおもちゃがたくさんいる。

 

そんな中、一組の母娘がトラのぬいぐるみに頭を下げている。謝っているのはぬいぐるみではなくはっきりとした人間だ。なぜかその親子だけがぬいぐるみでもおもちゃでもなく人間の姿をしている。そして背中のあたりに黒い鉤爪のようなものが見える・・・。

 

あとで店長に聞いてみると万引きをした娘と母親だったらしい。わたしは思う。「あの母子の背中にくっついた、不気味で黒いもの。世の中に漂う、悪いもののことを。わたしたちは誰だって、それに憑かれる危険があるのだ。そして悪いことをしてしまう。万引きだってそのひとつだ。でも、ほとんどの人がそんな目にならないのは、身にまとっている着ぐるみや玩具たちに、守られているからじゃないのか。何かを大切にした思い出。何かを大好きになった思い出。人は、それに守られて生きるのだ。それがなければ、悲しいくらい簡単に、悪いものにくっつかれてしまうのだ」

 

わたしは実家に電話してお母さんに尋ねた。子供のころ遊んでいたぬいぐるみってどこかにとってあるかな?物置にあるはずだという。次の日曜日晴れていたらチヨ子を外にだして天日干ししてあげよう。

というような短い話なんですが、けっこう深いところをついてますよね。もしも我々が今まがりなりにまともに生きていられたとするのなら。誰のおかげなのでしょうか?そんなところにおもちゃであるとか人形の本当の存在理由ってあるのかもしれないですね。
もちろんおもちゃや人形だけではありませんけどね。わたしたちを守ってくれているのは。たまには自分を守ってくれている人やもののことを考えてみる時間も必要かもしれません。