天然誤読生活

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【書評】ゲームの王国☆カンボジアを舞台にした政治的な悲恋もの。

 

ゲームの王国 上

ゲームの王国 上

 

 面白い小説でした。物語の枠組みとしては報われないラブストーリーなのかな?と思います。ざっくりいってしまうと悲恋もの。引き裂かれたソウルメイトが一緒になれるかどうか?という枠組みがストーリーのベースにある。しかしその枠組みを忘れてしまいそうなほど、政治的、思想的、哲学的な記述がたくさんあって興味深い。重層的なんですね。その結果いろんな角度から読めて深みを感じました。で、どんな話かといいますと・・・。

 主人公のふたりはいわゆる天才。男はカンボジアの農村に生まれた早熟な天才ムイタック。幼いころから周りの大人に警戒されるほど賢い。頭の良すぎる子供って普通の大人にとっては脅威ですよね。だって、その頭の良すぎる子供と接していると、自分がバカみたいに感じれられてせつなくなりますから。たとえばこんなシーン。鬼ごっこでいつも捕まってばかりの年上のいじめられっ子に対するアドバイスというか説教。

「つまりね、一度足が遅いと評判になった者は、不当に追われ続けるってこと。君は足が遅いわけではないのに『足が遅い』という評判のせいで、集中的に鬼に狙われている。鬼ごっこは基本的に追いかける側が有利だから、一度狙われれば捕まりやすい。そのせいで足が遅いというイメージが強くなり、さらに捕まりやすくなるってわけ。君だって鬼のときは無意識に『足が遅い』とされている人を探しているはずだよ。〜中略〜この世の中なんだってそうなんだ。王様だってね。一度偉くなってしまえば、そのおかげでみんなが彼が正しいと思い込む。何か間違ったことをしたように見えても、自分の方が間違っているのではないかと思い直す。そうして王様の権威は増していき、本当の実力とは関係ない虚構のイメージが作り上げられていく・・・・・
というようなことを語る(たぶん)10歳くらいの少年なんですね。どうでしょう?こんなことを言い始める10歳が身近にいたら???強烈ですよね(笑)
一方、女のほうはなんとポル・ポトの娘ソリヤ。一緒に暮らしてはいないんですけどね。ポル・ポトは革命を起こす前に行方をくらまします。その際に娘を同士に預けていったので、ソリヤは全く血縁のない人たちに育てられる。で、自分がポル・ポトの娘である、ということはだいぶ年齢がいってから知ることになる。で、このソリヤもムイタックと同じように異常に頭が良い。そして他人の嘘を確実に見破ることができるくらいの直感力も備えている。
で、理解されることのない環境に育ってしまった天才的なこどもが常にそうなってしまうようにムイタックもソリヤも自分を理解してくれる人が、この世界(自分にとっての世界)に誰もいない、ということにすごく絶望している。
ところが、ひょんなきっかけでこのムイタックとソリヤが出会うことになるんですね。で、カードゲームを通して、初めて「わざと負けたり、力をゆるめたり」する必要のない対戦相手、つまり、自分の能力を偽らずに、コミュニケーションをとれる相手に初めて出会えたと思える。
それは恋愛感情とは違うのだろうとは思うけど、いわゆるソウルメイトの出会いでもあったわけです。ふたりはふたりだけの世界に入って全力でゲームに没頭する。天才同士の真の戦いであり心の会話。
で、それがきっかけでふたりの仲が深まれば良かったんだろうけど、この物語は主人公たちに試練を与える。ふたりの奇跡的な出会いの一日というのは、カンボジアで革命が起こった日だったんですね。1975年4月17日。その混乱の影響でせっかく出会ったふたりの縁はそこで途切れてしまう。
 
その後ムイタックは革命組織の末端として、自らの理想を叶えるために生まれ故郷を理想の地とするために動く。一方ソリヤは革命政府を転覆させようと裏で画策しつつも、その目的を叶えるために、革命政府に身を起きつつも、更なる革命、つまり自分の理想を実現するため苛烈な手段も行う。
で、結果的にソリヤはムイタックの村落の住民を虐殺することに加担してしまう。ムイタックはその虐殺にソリヤが関わっていることを知り彼女を憎む。
つまりソウルメイトであるはずのふたりの再会は皮肉にも消えがたい憎しみを生む結果となる。ここまでが上巻の話の流れ。
で、下巻がはじめると一気に時間は進み2020年代の話となる。つまりほぼ現在の話になるということです。ソリヤは政治家となり次期選挙で首相を狙う位置につけている。対してムイタックは大学教授となっている。ふたりは直接関わることはない。だけど、ムイタックは兄とともにソリヤがカンボジアのトップになることを阻止しようと動く。ムイタックはソリヤがカンボジアをどんな国にしようと考えているかを予想できたから。それはとても危険な考え方であるということも、ムイタックは理解できたから。といような話。
で、このストーリー展開だけでもかなり面白いのですが、加えて下巻においての、脳科学とか政治に対する登場人物たちの思索も面白いんですね。
例えば感情とは何か?ということに関するこんな記述。
『感情』とは、つまり物語です。諸現象のプロセスとしては、①感覚刺激の受容。②感覚刺激の生物学的価値評価。③意味概念の認知。④価値評価と意味認知に基づく表出。⑤それらの主観的認知。〜中略〜まず、なんらかの形で私たちの感覚が刺激されます。視覚でも聴覚でも触覚でも嗅覚でも味覚でも、なんでも構いません。私たちはその感覚情報に生物学的な脅威があるかを評価し、その意味を認知します。これが第一に起こる『感情の定義』です。たとえば素肌を触るという行為は、触る人間が見知らぬ異性だろうが恋人だろうが、感覚刺激としては同じです。ですが前者は不快と判断され、後者は快と判断されます。そしてこの判断に応じて脳内モノアミンが分泌され、この定義された感情は身体や表情などに変化を与えます。不快であればアドレナリンやノルアドレナリンが分泌され、心拍数が上昇し、血管が拡張し、瞳孔が広がり、痛覚が麻痺します。表情はこわばります。快であればドーパミンセロトニンやβエンドルフィンが分泌されます。そして私たちは、最初に感覚情報を得てからその効果が身体に表出するまでのプロセスが筋の通った話になるように、怒りや喜びや悲しみなどと再定義します。一連のプロセス、つまり『物語』をどのように定義するか、それが感情だと思います。
というような最新の情報をもとにした面白考察がちりばめられているんですね。これがストーリーの流れとは別に面白い。ということでかなり読み応えもあるし、カンボジアという国についてとか、最新の脳科学についての学びにもなる面白い一冊です。
ゲームの王国 下

ゲームの王国 下

 

ついでにほぼ同時期の隣国ベトナムを描いたこの小説と重ねて読んでみても興味深いですね。

lifeofdij.hatenablog.com