天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

誰でも読解力が5割増しになる簡単な方法

 

 世の中には難しい文章がたくさんあります。例えば書いてある内容が専門的すぎて難しいという文章もあります。また書いてあることが今の時代とは違いすぎて理解しがたいという古典もあります。しかし今は専門用語も時代背景もGoogleで調べればすぐにわかります。だから専門的な文章の本でも偉そうな文豪の小説でも時間さえかければ読み解けないはずはないと思うのです。だけど、それでも実際には読み通すのが困難な本というものも多いです。それはなぜでしょうか?私が思うに・・・・。

その原因は 読んでいる最中に読み手の意識のコンパスが迷子になってしまうからではないでしょうか?例えるならば、本のページをパソコンのディスプレイ、意識のコンパスをカーソルとします。難しい文章を読んでいる時というのは、ディスプレイの中でカーソルが勝手に動いてしまったり、またはフリーズして動かなくなっている、という状態に近いのではないでしょうか?

で、私自身、読みたいと思ってはいるんだけれど、読んでる最中に意識のコンパスが迷子になってしまって残念ながら途中で断念したという本はたくさんありました。

しかし、最近考えた簡単な方法を使うと、日本語で書いてある本であれば、ほとんどの本を読めることができるようになりました。その方法とはとても単純な方法です。

紙の本を使って鉛筆やシャーペンで◯とラインを引きながら読むだけです。具体的にいいますと、文章の主語を◯で囲み、その主語に対応する述語をラインで引くのです。ただこれだけです。

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なぜ、この方法が有効かというと読んでいる最中に迷子にならなくなるのです。なぜなら読んでいる最中の迷子というのは、正確にいうと、主語がどこへ行ったのかわからなくなるということだと思うのです。だから◯とラインを引くことを意識し、結果、主語と述語を見える化することにより、この主語がどこへ落ち着いたのか?が一目瞭然なのです。すると読んでいる最中の意識のコンパスがズレることも迷うこともなくなるのです。つまり今自分の意識がどこにあるのか?また、どこへ向かうべきなのか?それがはっきりとわかるのです。

余談ですが、この方法で読んでいて気がつくのが、読みやすい文章と読みにくい文章の違いです。それはたいていは主語と述語の距離にあるようです。主語と述語の距離が物理的に近ければ読みやすいですし、離れていれば読みにくいようです。もちろん、読みやすさだけが、文章の良さを表すものではないですけどね。

ただ、以前は途中で断念していた森鴎外の「阿部一族」なんていう漢字率と文字密度が超高い小説も、この方法でまるで時代活劇を読んでいるようにすんなりと読めました。そして、こんなすごい小説を今まで自分は読まずに生きてきたのか!というくらいの衝撃も感じました。もしも読みたいと思っているのに、うまく読み通せないという本があったら試しにこの方法をチャレンジしてみてください。もしかしたら今までにない読書体験に出会えるかもしれませんよ。

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