【書評】ミレニアム5復讐の炎を吐く女(*注ネタバレあり*)
ミレニアム最新作読了しました。面白さという意味では過去作に比べると少し落ちるかな?と思いました。だけど、考えさせるという意味では、今までの中でいちばんかな、とも思いました。ネタバレになってしまいますが、今回ぼくが何を考えてしまったか?を書いてみます・・・。
この作品の主人公であるリスペット・サランデルの代名詞であるドラゴンのタトゥー。この第5作では、彼女がなぜ背中にドラゴンを刻みつけたのか?その答えが回想シーンとして描かれています。
東洋では龍というと聖獣ですが、西洋のドラゴンというのは人間に害をなす不吉な生き物とされています。だから、絵画や彫刻などで表現されるドラゴンは、常に聖なる騎士にやっつけられている悪者というイメージなんですね。
だけどそんなドラゴンが描かれた絵画(彫刻だったかな??)を見た、幼き日のリスペットには、ドラゴンが聖なる騎士にいじめられている(虐待されている)というように見えたんですね。
なぜかというと偉そうな騎士が、母親に対してDVつまり暴力を振るう父親に見えたんです。そして槍を突き刺されているドラゴンが母親の姿に見えたということなのです。だけど、ドラゴンは刺されながらも口から炎を吐いて戦うことをあきらめない。その姿に自分と母親の姿を重ねて、リスペットはドラゴンのように戦うことを、幼き日に誓ったそうなんです。だから、リスペットは背中にドラゴンのタトゥーを刻んだということなのです。
歴史は勝者が語るという言葉もあります。ドラゴンという伝説の生き物がいったい何を象徴して考え出されたものなのか?はわかりませんが、時の権力を脅かすものの姿をカタチにしたものである、ということは想像がつきます。
と考えてみると、このミレニアムシリーズというのは、権力やシステムによって虐げられてきたものたちの思いを、リスペットという、今の時代の最新の武器であるハッキングテクニックを駆使する女がシステムに対して戦いを挑む物語である、という解釈がなりたつと思えます。つまりレジスタンスの物語なんですね。だから虐げられたものたちを、ずっと虐げられてきたリスペットという救世主が救うという展開がストーリーの大筋になるんですね。ちなみこの第5作ではずっと虐げられてきたロマの血をひくものたちを救う物語でもあります。
とこんなことを書くと、ずいぶん重そうな話に聴こえるかもしれませんが、相変わらずノンストップエンターテインメントとしての魅力は本作も充分です。(ただ過去作が面白すぎたので今作はちょっと落ちるかな?という感じ)で、前述したとおり、かなり重いテーマを描きつつも、陰惨にならずにエンターテインメント性を強く保っていられるのは話の筋のうまさもありますが、リスペットを支えるサブキャラクターたちの魅力も大きいと思うんですね。
ミカエルやアニカやホルゲル、ブブランスキー警部などは社会に対する告発は行いますが、あくまでシステムの中の成功者たちです。だけど、そんな彼ら彼女らがリスペットを応援するし、実際に我が身をリスクにさらしてでも助ける。つまりシステムの中にも希望はある、ということもこのシリーズは描いているんですよね。
で、リスペットはあくまで戦いをやめるつもりはない様子ですが、それでも少しずつシステムの中にも、彼ら彼女らつまり希望とよべるものがあることも、少しずつ気が付きはじめる。リスペットは大切な人を失い、ラストシーンにおいて、自らの言葉でぶっきらぼうな弔辞を捧げます。それは読んでて、参ったって感じるくらいに、ホロッときました。リスペットもずいぶん変わってきたんだなぁと。