天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

【映画評】ガンジー 

 

ガンジー (字幕版)

ガンジー (字幕版)

 

 このあいだ読んでいた【超、思考法】という本の中にガンジーのエピソードがたくさん書いてあって、あぁそういえば映画があったなぁ、それに明日1月30日が命日かぁ、と思って今回【映画 ガンジー】を観てみました。

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この本では・・・

 ガンジーの思考法がビジネス上さらに日常の問題解決においても参考になるということで、いくつかのガンジーのエピソードが紹介されています。例えば南アフリカでのインド人の地位向上のために行ったデモは、英国でガンジー自身が目にした女性解放運動の戦略を参考にして考えられたものだったということ。それは一見関係のなさそうな事例からのアイデアを流用そしてアレンジすることによって「自分の問題」を解決するガンジー独特の「超、思考法」であった、という筆者の話でした。

で、今回映画の「ガンジー」を観て思ったのは、たしかにガンジーという人(もちろん映画の中のガンジーということですが)とんでもないほどに恐ろしい戦略家だな、というイメージを持ちました。武器も兵隊も経済力も持たないガンジーという一人の人間の戦略によって、大英帝国から独立を勝ち取ったわけですから。で、なんでガンジーの戦略ってそれほどの効果をあげたんだろうと考えていると、思い出したのがちょうど今大河ドラマの主人公である、西郷さんの言葉です。

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。 

この西郷さんの言葉とガンジーの戦略は相通じるものがあるのではないのかと思いました。で、こういう態度で、迫られると、相手方はやっかいですよね。いちばん恐ろしい。だからいちばん効果のある戦略とはこうしたものなのかもしれませんね。

さて、映画に関してですが、これ、ちょっと、すごい映画です。何がすごいって、世の中、R指定とか、なんとか指定とか、バイオレンスを売り物にする映画ってたくさんありますけど、この「ガンジー」っていう映画ほど暴力的な映画はないんじゃないでしょうか?

少なくともぼくが今まで観た映画の中では、これほど、人間の暴力がリアルに描かれているものは観たことがありません。国家や宗教的対立がこれほど人に残虐な行いをさせてしまうものなのか?そして、今現在もこれと同じようなことが世界のどこかで続いているのか?と観ていて心が痛くなります。

 ただもちろんただの暴力的な映画というわけではありません。クライマックスのシーンにおいて、そのどうしようもない暴力に対してのガンジーの考えが語られるシーンがあるのですが、この場面、たぶん一生忘れられません。

ハンガーストライキをしてベッドの上で朦朧としているガンジーガンジーの目の前でイスラムの剣をもう使わないといって投げ捨てる回教徒たち。そこに彼らの中を割って入ってくるように、ひとりのヒンズー教徒の男がガンジーに近づく。男は鬼気迫った表情をしている。周りの人間がざわめく。男がガンジーに向かって口を開く。

「さあ、食べろ」
男はガンジーにパンを投げつける
「食べろ、俺は地獄行きだ、あんたを助けたい」

ガンジーは答える。
「地獄へ行くのは神さまが決める」

男は叫ぶ。
「子供を殺した、頭を壁に叩きつけた」
ガンジーは目を閉じて男に訪ねる。
「なぜ?」

男は答える。
「息子が死んだ、殺された。回教徒が殺した」

ガンジーはゆっくりと男に語りかける。
「地獄から抜け出る道がある。子供を拾うのだ。母親と父親を殺された子供を、これくらいの子供がいいな、自分の子供として育てるのだ。ただし、回教徒の子供だよ、回教徒として育てるのだ」
男はガンジーのベッドに泣き崩れる。

ガンジーは言う。
「行け、神のご加護を」 

 映画ですから、ガンジーという人物はかなり神格化されて描かれているとは思いますが、それでも前述したとおり、武器も兵隊もお金も持たないひとりの人間を中心にインド独立が成し遂げられた、ということは事実です。ほとんどありえない奇跡なのかもしれませんが、人間ってこんなすごいこともできるんだなぁと思わせてもくれる映画でした。