天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

「不便益」はすっぱいぶどうか?機能快か?

今朝1月24日のNHKおはよう日本にて「不便益」についての特集がありました。あえて不便にすることで、結果的にメリットを得るという考え方らしいです。

ある企業の事例として、社員がスマホではなくて、ガラケーを所持した場合に、月に5000円の報奨金を出す、というケースが紹介されていました。

 インタビューを受けていた社長さんによると、社員全員が休み時間に、ひたすらスマホを見ているばかりで、会話がなく、社員同士のコミュニケーションがおろそかになっている!と感じたらしいです。で、社長さんは、これはマズイと思い、報奨金を出してでもスマホからガラケーの変更を推奨したそうです。その結果休み時間などに会話を通した社員同士のコミュニケーションが復活して、業績向上にも効果があった、ということです。

まぁ業績向上とスマホからガラケーへのチェンジに、実際の相関があったのかはわかりませんが、たしかに便利にしてくれるはずのものが逆にデメリットを、反対に不便なものが逆にメリットをもたらす、ということは確かにありますよね。で、ちょっと調べてみようかと思い、不便益という言葉で検索してみました。するとわかりやすく解説してあるこんなサイトにヒットしました。
www.nhk.or.jp

幼稚園の凸凹園庭です。10数年前、新聞記事で、園庭を凸凹にして園児をコケさせようとする園長が居るという話を読みました。凸凹にすると、移動しづらいですし、転んで怪我をする危険も増えるので、不便なような気がします。ところが、その不便によって園児が活き活きとしてきたというのです。その時は、凸凹と活き活きの因果関係がわかりませんでしたし、幼稚園の名前も覚えていなかったのですが、ふと気になって、ウェブで検索してみると、近年は園庭を凸凹にする幼稚園が増えているようです。

面白いですね、この話。確かに真っ平らな人工的な地面で育った子供と、凸凹だらけで育った子供では転ぶ経験の多寡には相当な違いが出てきますよね。その結果、どういう影響が出てくるのか?興味深いですが、ちょっと怖いような気もします。それから、上の本文の中に出てきたバリアアリーという言葉も気になって検索してみました。

www.yumenomizuumi.com

真ん中の画像の青春階段というのはいいネーミングですね。バリアをとっぱらって、何も苦労というか、手間のかからない状態というのは、よくなさそうだなぁという気がしてきました。そんなことを考えていたら機能快という言葉を思い出しました。

bplayer.blog45.fc2.com

子どもが歩くのは、歩くのが義務だからではなく、歩くのが快感だからです。子どもがしゃべるのは、しゃべるのが快感だからです。逆に、その機能が発揮されない状態が続くと不満が鬱積し、心身は病むことになります。(渡部昇一『「人間らしさ」の構造』 参照)

というところ、なるほどね〜と思ってしまいます。私の普段の生活で考えてみても、例えば音楽を聴くときの事を考えみると本当に手間がかからなくなりました。そのあたりのことは以前にこんな文章を書いたことがあります。AmazonMusicは便利だけど、やっぱりアナログレコードを聴くあの手間(不便)って音楽の魅力の大事な要素だったんだよなぁと。

lifeofdij.hatenablog.com

今、どんどんびっくりするぐらい世の中が便利になってきています。で、便利になったぶん、空いた時間とかリソースを価値ある何かに振り向けられればいいんですが、なかなかどうして・・・・と思うのは私だけでしょうか?でも、こんな考え方ってすっぱいぶどうなんでしょうか?

いやいや、やっぱり大事なのは便利と不便のバランス!そんな気がします。