天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

中村達也さんのドラムを初めて生で聴いた時「嘘だろ?」と思った話。

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ネット上のニュースで中村達也さんの名前を見かけて驚きました。そして「達也さんなら殴られてみたい」な発言もあったそうで、不謹慎ながら、わかるなぁ、その感覚、と思ってしまいました。なぜなら達也さんの生のドラムを聴いたことのある自分からすると、あの熱のこもったドラム演奏のように(ちょっとだけ)叩かれてみたい、というのもわかるのです。もちろんスティクで叩かれるのは嫌ですけどね(笑)

 達也さんのドラムを初めて生で聴いた時「嘘だろ〜?」と思いました。1991年、当方の地元の150人が入れば満員になる小さなライブハウスにやってきた中村達也さんが所属していたブランキー・ジェット・シティというバンド。前年に「いかすバンド天国」というテレビ番組で注目を浴び、翌年の3月にデビューアルバム発表。で、私が初めて観たブランキーのライブは5月くらいだったかと思います。【胸がこわれそう】という曲のバスドラムの音を聴いた時「嘘だろ〜?」と思いました。達也さんのドラムの音って、今まで聴いてきたドラムという楽器の音と全然違ったんですよ。響くんですよね、身体にも、心にも。うまく表現できませんが、ドラムってこんなすごいものだったんだぁ、信じられない、嘘だろ!と思ったんです。

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デビュー間もないころのインタビューで達也さんは「この人(浅井健一さん)を世間に出さなくちゃいけないと思ったから、ブランキーに加入した・・・」という意味合いのことを語っていたような記憶があります。では達也さんが世間に出さなくてはいけないと思った浅井さんの凄さはどこにあったのか?

いちファンとして勝手に推測させてもらうと浅井さんの凄さ、というのは「言葉」にあったと思うんですよ。歌詞がすごい。ナンセンスで真摯で鋭い。

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楽しい遊園地の中で迷子になった小さな子供が

お母さんを探す気持は真実

たぶん宇宙の形はその母親が子供を抱きしめた時に

湧いてくる気持ににているんだろう

この歌詞もすごくないですか。どこからこんな発想が湧いてくるんでしょう?ブランキー・ジェット・シティというバンドは強面の印象が強いですが、このように、かなり文学性の高い楽曲を創るミュージシャンでした。実際に浅井さんも照井さんもかなりの読書家だと聞いた事があります。私個人もビート文学と言われるジャック・ケルアックの「路上」とか、ジム・キャロルの「マンハッタン少年日記」あたりは浅井さんとクロマニヨンズ真島昌利さんなんかの影響で読み始めたと思います。そのあたりすごく感謝もしているのです。

さて達也さんの話に戻しますが、達也さんってライブの最中にマイクに向かってシャウトするんですよね。コーラスのハーモニーとかではなくて、叫ばずにはいられないから、叫んでいるっていう、切迫感のあるものに感じるんですよね。
で、何に対して叫ばずにいられなかったのか?というと、浅井さんが唄う言葉に反応して叫んでいるみたいに聞こえるんですよね。合いの手ともまた違うような感じで、時に「それ違うだろう!」とか「ああ。そうなんだよ!オレも同じだ」みたいな感じで仲間同士が本音で会話しているように聴こえる(わたしのそら耳かもですが)

で、そこから改めて思ったのは、シャウトだけではなくて、達也さんのドラムの音自体が、ただのリズム楽器ではなくて、まるで達也さんが叫んだり語りたい何かを、そのままドラムという楽器を叩くことによって表現しているじゃないのかなと。つまり、達也さんのドラムって達也さんの「言葉」だったんじゃないのかなと。だから今まで聴いたことのあるドラムとは全く違うものに聴こえたんじゃないかな?と。

で、達也さんなら叩かれてみたいっていうのは、つまり中村達也さんという人と話をしてみたい、達也さんに本音の言葉をかけてもらいたい、って心理なのかな、なんて思います。
暴力はよくないことです。殴られるのはめちゃくちゃ痛いです。そして殴るほうも後で拳がすごく痛くなるんですよね。箸ももてなくなくなるくらい痛くなる。スティックだってうまく握れなくなる。だから、叩くのはやっぱりドラムということにしてもらって、また中村達也さんの熱くてクールな言葉を聴いてみたいです。