天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

子供だましでは子供はだませないと語る童話作家の本に唸らせられた。【きむら式 童話のつくり方】

 

きむら式 童話のつくり方 (講談社現代新書)

きむら式 童話のつくり方 (講談社現代新書)

 

 じつはワタクシいつか童話というのを書いてみたいなあと思っておりまして、この本を読んでみました。で、面白いなあと思ったのは著者の木村さんがほとんど童話を読んだ事がないのにいきなり書き始めたという事ですね。だからなのか、童話の書き方の本ですが、具体的な方法よりも童話を書くことに対しての心構えが書いてある部分により強く熱を感じました。印象に残ったのは・・・。

 童話はこどものために書くということではなく、あくまで自分自身が、今本当に考えている事を書かなくては、子どもには伝わらないという事です。これは何でも同じですね。このようなブログを書く場合も同じような気がします。

適当に、相手をジャンル分けしてこんなふうな事を、こんなふうに書けば満足するだろう?なーんて態度で書いているものは伝わらないですしね、伝わったとしてもしばらくすれば消えていく。相手が何を欲しがっているのかはわからないけれど、今自分が何を感じて何を伝えたいのか?それをしっかりと見つめてそれを伝えること。それが相手に対する礼儀ということになるのかな?なんて事を思いました。童話こそ子どもだましの技術では通用しないですよ、と著者は言いたいのかなと、ワタクシは理解しました。

以下 抜き書き

テーマのようなものがあったとしても絶対に言葉にしてはいけない。「戦争やめましょう」と言うのを前面に出すのなら「戦争やめましょう」と言う言葉で云えばいいわけで、わざわざお話を作って延々と読ませる必要は無い。

どうしてそれをストーリーにするかと言うと、理解させるのではなくて「感じさせる」「思わせる」そのためだ。言葉でわかることと心で思う事は違う。

言葉である1つのことを言って、読んだ人がその意味を言葉として分かったとしても、本当にそう思うかどうかは別だ。思わせるにはストーリーがいる。それを読んで、涙を流して、本当にそう思うとしたら、それを読まなきゃ生まれない感情を経験してるのだ。でも理解させるには、その言葉で済むから、キャッチフレーズで良い。どうやったら思わせることができるか。そのためにたくさんの文章書くわけなのである。


物語というものの存在意義を語っていますね。


2016/12/16