天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

スパイというあまりにも大変な生き方を仮想体験させてくれる小説

 

シンパサイザー (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

シンパサイザー (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 2015年に発表されてピュリッツァー賞エドガー賞最優秀新人賞など六冠を受賞したという小説を読みました。Amazonレビューを見てみると意外に評価が低い意見が多い。でも、よく見てみると低評価をつけている人は最後まで読んでいないようだ。翻訳に問題あり、みたいなことを書いていた人もいたけど、熱の伝わる良い翻訳だと思ったし、最後まで読まずに途中で投げ出した人に対して「かわいそうに」と言いたいくらいの傑作だと、個人的には思う。この小説がどんなものなのかというと・・・。

 ベトナム戦争時のスパイの話。最初の段階で、この文章はそのスパイが過去を回想するという形で書かれているものであることが明かされる。で、この主人公であるスパイは母親が13歳の時にフランス人の神父との間に生んだ私生児。神父は自らが父親であるということを明かすことはない。主人公は見かけが他の子供たちとは違っているのでいじめの対象になることもあった。

だけど主人公はガッツがあって立ち向かう性格。そして頭も相当良い。当地に密かに潜入していたアメリカ人男性(実はCIA局員)に気に入られ様々な便宜を図ってもらう。ついでにふたりの親友もできる。彼らは上級生のいじめにあっていた主人公を負けるのを承知で助ける。三人は義兄弟の契を結ぶ。親友のうちのひとりマンは共産主義者となる。一方もうひとりの親友ボンは南ベトナム共和国の兵士となり、共産主義打倒を誓う。主人公は共産主義にシンパシーを感じ、マンを通じ北ベトナム側のスパイとなる。そして潜入者として南ベトナム共和国の情報将校となる。

彼は出世し、高位な地位にある将軍の右腕となる。その間も北ベトナム側に将軍の動静を逐一報告する。そのうちに南ベトナムを支援していたアメリカがベトナムからの撤退を決める。共産主義である北ベトナムの勝利が確実になり、将軍と一緒に主人公はアメリカに亡命する。ボンの家族も一緒に亡命する予定だったが、出発時にボンの妻と子供は北ベトナムの攻撃にあい亡くなる。
アメリカについたベトナム難民はそれぞれの生活を送るが、将軍は本国へ戻ってもう一度戦うことをあきらめない。私設の軍隊を作る。しかしその情報が筒抜けになっていることに気が付きスパイを探す。右腕である主人公が直接疑われることはなかったが、身の危険を感じた主人公はそれとなく他の人物を怪しいと囁く。将軍はその意見に従い、主人公に対して、スパイの排除、つまり暗殺を命じる、しかし、情報将校である主人公は人殺しなどとてもできそうにない・・・・・・。

というのがストーリーの始めの部分なんですが、面白いというか、興味深いのはこの主人公、スパイという職業なんですが、終始、普通の人のように、何事に対しても逡巡するんですね。内省癖があるというか。ジェームス・ボンドのようなスパッと割り切れるようなかっこいいスパイではない。相当頭の良い人間なんですが、普通の人と動揺に自分のやっていることにいちいち悩む。

で、そんな鋭い観察眼と深い思考力を持った人間が、極限状態にいるわけですから、飛び出してくる言葉のひとつひとつが深くて鋭い。そして彼らの二人の親友とCIA局員のクロードたちの言葉も深い。名言の嵐。そこらへんがこの本の面白さ。
以下に彼らの名言を引用いたします。


「養わなきゃならない家族がいながら正直でいられる人はなかなかいない」


「私たちの社会はいわゆる盗賊政治の極まったもので、政府は全力を挙げてアメリカ人から盗もうとし、平均的な人たちは全力を挙げて政府から盗もうとし、最悪な者たちは全力を挙げて互いから盗もうとしました。」


「彼らは他のことでおまえをのけ者にした。これは原始的な信仰だよ。我々は幸運や果報のために成功したり失敗するわけではない。成功するのは、世界がどう回っていて、我々が何をすべきかを理解しているから。失敗するのは、ほかの者たちのほうが我々よりもそれをよくわかっているからだ。」


「世の常として、目に見えないものの重要性は、口にされないことによって強調されているのです。」


「母がくれたのはノートとペンでした。母は読み書きがかろうじて出来る程度で、読むときは声にだし、書くときは小さくて恥ずかしげな文字を書きました。10歳の頃には、私は母に代わってすべてを書いてあげていました。ノートとペンというのは、母にとって自分が成し遂げられなかったことすべて、そして私が、神の恩寵のためか、遺伝子の偶然の組み合わせによって、これから成し遂げるこたになるすべてを象徴していたのです。」


「暴力は答えではないんだ。暴力が引き出すのは悪い答えだ。嘘、誤った指示、そしてもっと困るのは、こちらがこういう答えを求めているのだろうと囚人が勝手に考えて、それを言おうとすること。囚人は苦痛を終わらせるためにはどんなことでもしゃべるんだ。」


「男たちは勲章を胸につけてもらうために死ぬ、とナポレオンは言いましたが、将軍はさらに次の事を理解しています。多くの男たちが、自分の名前を覚えてくれたひとりの男のために死ぬという事です。」


「そのために死ぬに値するものが何かあるのなら、生きる理由もあるんだよ。」


「何かを忘れたとわかっているのにそれが何かわからないというのはゾッとするような恐ろしさがあります。私は何かを失いました。」


「怒りは暗い気分の解毒剤で、悲しみにも憂鬱にも絶望にも効きます。ある種の痛みを忘れるひとつの方法は、別種の痛みを感じることです。」


「生産手段を持たないと早まった死に繋がりかねないが、表現手段を持たないこともある種の死である」

ベトナム戦争を最初に意識したのは、ベトナム帰還兵を描いた映画ランボーを観たときだったかな、と思います。それからテレビで「ディア・ハンター」を観て拷問シーンに衝撃を受けて。ちなみに筆者は私と同じく1971年生まれ、ベトナムで生まれ5歳のときにボートピープルとしてアメリカに亡命したそうです。

2017/10/29