天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

文章を書くとはこういうことなのか!腹に落ちまくった文章。

 

 文章を書くとはどういうことなのか?を考察している山川健一さんの文章に唸ってしまったのでそのまま引用。

 

文章を書くという事は、曖昧模糊としたカオス(混沌・混乱)が整理整頓されていく過程である。例えばイギリスを旅行した経験を書く。インドでの経験について書く。好きな音楽について書く。印象派の絵画について書く。高校時代の恋愛体験のことを書いていく。定年退職後に出会った趣味について書く。これらの場合、イギリスもインドもロックもルノワーも、恋愛も趣味も、最初は霧の彼方に見える樹木のようにぼんやりしているはずだ。つまりカオスそのものだ。だが書き続けているうちに、それぞれの対象の輪郭がはっきりしてくるはずだ。好きなものや自分の体験を言葉にするという事は。それらの対象に自分なりの形を与えるということなのだ。

ジャズやロックにジャムセッションという演奏スタイルがある。即興演奏、インプロビゼーションを目的にした演奏スタイルである。何人かのミュージシャンが集まり、基本的なキーやコードだけを決めて、即興演奏を楽しむのである。何かについて文章を書く作業は、このジャムセッションによく似ていると、僕は思う。

あなたが仮にギタリストであるならば、イギリスやインドの体験はベーシストであり、好きな音楽や絵画はドラマーであり、過去の恋愛や趣味の体験はピアニストなのだ。それらのミュージシャン達と、素晴らしい即興演奏を繰り広げること。それが、文章を書くという行為なのだ。すると不思議事が起こる。

相手のミュージシャンのことが、鮮明にわかってくるにつれて、自分のこともわかってくるのである。「私はローリングストーンズのことがこんなに好きだ」という事を書くと、カオスそのものだったストーンズにくっきりとした輪郭が与えられるのと同時に、「ストーンズが好きな自分のこと」もよくわかるようになる。曖昧模糊としたカオスそのものだった自分もまた整理整頓されていくのだ。

あなたが、あなた自身の飽きることが果たしてあるだろうか?日々揺れ動いていて、すぐに誰かの事を好きになり、旅先では感動して涙を流し、枚の絵画の前でたちすくんだり、コンサート会場で感動したりする。そういう自分自身に飽きることがあるだろうか?
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