天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

天に向かう向日葵みたいな人間を描いたノンフィクション

 

1985年のクラッシュ・ギャルズ (文春文庫)
 

 この本はクラッシュギャルズという女子プロレスラーについて書いてあるノンフィクション。プロレスは好きだったんだけど、女子プロレスの世界は守備範囲外であまりよくわからない。この本で描かれている長与千種ライオネス飛鳥によるクラッシュギャルズというチームは1985年の社会現象だった。だからその存在は知っていた。だけど彼女たちがどのような人間で、どんなことをしてきたのかはほとんど知らない。そのように、あまり予備知識のない状態で、この本を読んだのだけれど、はっきりいってかなりの衝撃をうけた。この本はノンフィクションなのに、フィクションとしてのドラマで描かれている要素の大半が、ドラマの何倍ものエグさで描かれている。嫉妬や裏切り、友情、栄光と挫折などなど。このふたりの女子プロレスラーとひとりのファンのリアルな物語は読み始めると止まらなくなる。

 1985年それまではプロレスなど全く興味を持っていなかった多くの女子中高生たちがクラッシュギャルズという戦う女性に夢中になっていた。それはなぜか?それを考察するのがこの本の目的のひとつでもある。前述したとおりこの本の主役は三人いる。長与と飛鳥と、もうひとり、かって彼女達のファンであった、ひとりの女性ライターだ。女性ライターは書く。


「1985年8月28日、大阪城ホール。観客席にいた1万人以上の女の子たちは、長与千種ダンプ松本に髪を切られる様子を、涙を流しながら見つめていました。リング中央に置かれた椅子に座らされた千種は首に鎖をまかれ、右手をブル中野に左手をモンスター・リッパーに押さえつけられたまま、ダンプ松本にバリカンで髪を刈られています。その様子はまるで、着座のキリストでした。長与千種は、私達が抱える苦難のすべてを背負った殉教者だったのです。15歳だった私の物語はここから始まりました」


長与千種の子供時代はつらい。そもそも「千種」という名前のつけられ方がすごい。父親は元競艇選手で度を過ぎたギャンブル好き。千の種とは競艇の千円舟券の種になるように・・・という願いを込められた名前だそう。ちなみに姉の名前は一二三(一位二位三位から)。

で、長与が10歳の時、両親は事業に失敗し、千種は親戚中をたらい回しにされて育つ。中学卒業後全日本女子プロレスに入団する。同じ年頃の練習生たちと仲良くやっていたが、ある事件を境に仲間外れにされいじめられる。

やめようと決意するが、同期の出世頭ライオネス飛鳥とのシングルマッチがきっかけになり再びプロレスへの情熱を取り戻す。そしてクラッシュギャルズを結成する。パートナーのライオネス飛鳥は優れた身体能力と立派な体格を持つ。プロレスラーとしてはエリートだ。対して長与はそれほどの資質はもっていない。しかし長与千種は考えた。徹底的にプロレスとは何か?を考えた。

一ヶ月でビデオデッキが壊れるくらいに様々なプロレスのビデオを観て研究した。どうすれば強くなれるか?ではない。どうすれば観客の心を捉えられるかをだ。その結果、長与が出した結論は「痛みの共有」だ。いかに自分の痛みを観客に共有してもらえるか?その結果、クラッシュギャルズのスタイルは定まっていく。長与が痛めつけられながらも耐え抜き、そこにスーパーマンのごとく「強い飛鳥」が表れ、長与を救い勝利する、という構図。そのわかりやすいストーリーが前述した多くの女子中高生の心を捉えた理由のようだ。

そしてクラッシュギャルズは一気にスターダムを駈上る。しかし彼女たちの栄光は長くは続かない。亀裂は内部から広がっていく。パートナーとの亀裂そして長与の考えるプロレスと観客が求める長与千種のイメージとのズレ・・・・。
女性ライターは書く。


「人びとは人を愛さない。人は自分の中にある夢だけを愛する。ブラウン管の向こう側にいる少女たちが愛したのは、現実のプロレスではなかった。プロレスラー長与千種は、少女たちの夢の中に生きる長与千種に敗北した。すなわち長与千種は、自身がつくりだした幻想に敗北したのだ。p175」


ブームは終わり、静かにライオネス飛鳥長与千種も引退する。長与千種は引退後、芸能人として活動する。劇作家のつかこうへいは長与千種をモデルにした「リング・リング・リング」という舞台を上演した。その時、つかこうへいが長与千種にかけた言葉がすごい。

 

「千種、お前の1年を俺に預けろ。俺は、男も女もお互いを認めあい”いつか公平な”時代がくるといいと思い「つかこうへい」と名乗っているんだよ。風呂で寝てしまい、我が子を溺死させた母親がいる。 母乳を与えながらうたた寝して、我が子を窒息死させた母親がいる。そういうやつは一生上をむいて歩いたりしない。でもオレは、オマエたち女子プロレスラーだったら、そういうやつらにも力を与えることができるような気がするんだよ。女子プロレスってなんだ?普通若い女がおしゃれをしているのに、お前たちは水着一丁で股ぐらを開いている。チャンピオンベルトと言ったって、ただのメッキだろう?おれは今まで女子プロレスを知らなくて、ちょっとだけ見せてもらったけど、あの若さで、水着一丁で肌をさらしてぶつかっていく姿は、まるで天に向かう向日葵みたいだな」

 

このつかこうへいさんの考察こそが、あの時代に、なぜ、あれほどクラッシュギャルズという女子プロレスラーが、あれほどの支持を集めたのかの理由に一番肉薄しているように思える。


2017/10/16