天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

前田日明的生き方と佐山サトル的生き方の対比がドラマチックな一冊

 

1984年のUWF

1984年のUWF

 

 世の中の人を大きくふたつに分けると「矛盾」に対してうだうだ考えてしまう人と、「矛盾」を簡単にスルーできてしまう人がいると思う。これは中二病を解消出来たか、
出来ていないかという程度の問題ではなくて、もっと深い部分での矛盾に対しての感性の違いだ。本書は1980年代のプロレス界といういかにもマニアックな世界を描いている。だからプロレスに興味のない人が手に取ることはない一冊だろう。だけれども前述した矛盾に対する感性の違いという観点から見るとまさに対象的なふたりの若者の物語として読むことが出来る。その意味では誰が読んでも面白いのではないのかと思う。

 いや、誰でもではないかもしれないな。矛盾を華麗にスルーできちゃう人が読んでもそれほどは面白くはないかも。でも、たいてい本を読んで喜んでいるのは(実用的な本は別にして)矛盾を華麗にスルーしたくても、みっともないほどに盾と矛についてひっかかって毎日寄り道しながら生きている人だと思う(笑)もちろん私もいろんなことに引っかかり続けながら日々過ごしている、だからこの本はとてもおもしろかった。(笑) 

さてこの本の主人公のうちのひとり、矛盾にうだうだ考えてしまうほうはやっぱり大の読書家だ。リング内のマイクパフォーマンスでヴェルレーヌの「選ばれし者の恍惚と不安と二つ我にあり」なんてカッコイイ言葉をチョイスしたりする。その男は前田日明というプロレスラーだ。

太宰治大全

太宰治大全

 

 そしてもうひとりの主人公は昭和50年代のほとんどの少年たちの心を一夜にして鷲掴みにした男、タイガーマスクこと佐山サトルだ。この佐山サトルという男、プロレスの天才でありつつ矛盾を華麗にスルーすることにかけてもやはり天才的な男のようだ。

そもそもがプロレスというものの存在自体が矛盾で出来ている。なんせ真剣に生命をかけて毎日嘘をつく職業なのだ。プロレスの試合はスポーツの世界でいう真剣勝負というものはない(特別なケースを除いて)。試合の結果というのは事前にほとんど決まっている。その枠の中でいかに観客を楽しませることが出来るか?ということに生命をかけながら仕事をしている。

リング内でいかに見事な演技が出来るかが勝負といえるので役者との比較がされることもある。しかし大きな違いは役者が虚構を演じているということを自他共認めながら演ずるのに対し、プロレスラーは虚構であることを観客に対して隠さなくてはならない、気づかせてはならない、という矛盾を抱えていることだ。

この大前提に対して、当時20代の若者であった前田日明佐山サトルという対象的なふたりがどう行動したのか?それを綿密な取材をもとにスリリングに描かれている。書き方もうまいのでふたりのその後を知っている私もついついこの先どうなるんだろう?とドキドキしながら一気読みしてしまった。

この時代のプロレスについて書き始めると永遠に終わりそうもないのでこのあたりでやめておこう(笑)が、やはり大変おもしろい一冊であった、ということだけは書き残しておきたい。そして真剣に嘘をつき続けて、心から楽しませてくれたあの時代のプロレスラーたちに対する尊敬の念も改めて強く持った。


2017/09/06