天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

村上龍の読書論がドライすぎる

 

村上龍文学的エッセイ集

村上龍文学的エッセイ集

 

この本は1998年から2005年くらいの間に書かれたエッセイを集めた本ですね。今回この本を紹介しようと思ったのは龍さんの読書感を表してる一篇があって、面白いなぁと思ったからです。引用してみます。

 


・本に詰まっているのは教養ではなくて情報だ。生きるための、サバイバルするための情報なのだ。少なくともわたしの場合はそうだった。


・今でもわたしは本を読むことを薦めようとは思わない。情報と知識がサバイバルのために必要だという前提がない人に、いくら読書を薦めても意味はないし、人生がサバイバルであることを自覚している人は、別にわたしが薦めなくても本を読むだろう。誰かに薦められて無理に本を読んでも意味はない。本は基本的に、情報と知識に飢えている人のためのものだ。書を捨てよ、街へ出よう、と有名な詩人が言った。だが書を捨てることはない。しらない街を歩くときには、ガイドブックがなどの書があったほうがいい。無理して本を読むよりも、情報と知識に飢えるような状況に自分を置くことのほうが重要だと思う。

 

面白いなあと思いました。純文学から出発した作家の方って、皮肉交じりだとしても、
やはりどこか本というか文学に対して特別な思いを持ってるようなイメージがあるじゃないですか?

だけど龍さんの本に対する態度ってすごいドライですよね。龍さんにとって本って、サバイバルするための道具なんですね。

さて皆さんにとって読書ってなんでしょう?道具ですか?それともそれ以上の物?
考えてみると面白いかもですよ(笑)

さて話を戻しますが、龍さんは色んなことに手を出してきましたよね。映画作ったり、テレビ番組の司会してみたり、電子出版の会社を作ったりもしてたような?そんな人ですから、たまたまなんでしょうね。作家という職業を選択したのは。

面白く人生をサバイバルしていくためにたまたま小説という道具を使ったのかな?このエッセイを読んでそんな印象を持ちました。


2016/06/18