よしもとばななさんと村上春樹さんの交流エピソードが面白い
よしもとばななさんは初期の小説しか読んでなかったんだけど、この日記のようなエッセイを読んだら、その読む人を惹きつける恐ろしいまでのチカラに恐れ入りました。
読み出すと止まらないのです。
あるテレビ番組に出演した際に、ご本人が語っていたのは、今まで『書く事に困った事はない。それだけはずっと変わらない』というような内容の事を話していました。その言葉がこの本を読んで本当なんだろうなあと実感しました。
スピリチュアリズム系にかなり傾倒していそうな感じもするけど、ばななさんってやっぱりシャーマン的な方なのかな?言葉が降りてくるタイプなのかな?
春樹さんが地下に潜って言葉を探してくるタイプの作家なら、ばななさんは陽光を浴びるように言葉を受け止めて書き写してるみたいな感じかな?そんな印象を持ちましたね。
その春樹さんとばななさんの交流が、この本に少しだけ書かれてました。ばななさんは新刊を出すと、お互いに献本しあっている作家さんが何人かいるそうです。宮本輝さん、村上龍さん、森博嗣さんなどなど。だけど春樹さんに献本はするけど、向こうから新刊は送られてこないそうです。その代わり時々聞いたこともないような本を、いきなり送ってきてくれたりするそうです。『この本、ばななさん、好きそうだなと思って』というメッセージを添えて。面白い話だなあと思いました。
2016/06/01
追記
読了したのでもう一度この本について。ばななさんって吉本隆明さんの娘として生まれて若い頃から天才として世に認められてっていうイメージしかなかったんですがこの赤裸々な日記のようなエッセイを読んであーーこの人、いろんなところにゴツゴツとぶつかりながら生きてこられた我々普通の人たちと同じなんだなあと改めて当たり前のことを思いました。
天才だからの苦悩みたいな恰好の良いことではないんですね。地に足の着いた悩み(笑)というのも変だけどそんな普通のトラブルにてんてこ舞いされてきたなのかな?と。そして、そんな現実的なトラブルに際して文学的才能が特に役に立つという事もなくそれなりに痛い目にもあってきたのだろうなと。
印象に残るのはお金に関する記述だったりしますね。ところどころに『金策に駆けずり回る』なんて言葉が軽ーく出てくるんですよね。世界的に才能ある作家として評価されてるばななさんが金策ですよ。
お父さんの吉本隆明さんが生前自らの全集を出したいと熱望していたんだけど、出版不況のため、どの出版社も応じてくれない。採算の取れない計画は無理だと。そのため隆明さんは自身で出版社を作ることを計画、娘であるばななさんにお金を出してくれないかと相談する。だけどばななさんは自らの家族もあるし無理だと断る。
『ほんとうに家族泣かせなくらい商売の出来ない人でありました。ギャラの高い講演もせず、教授にもならず、その分、身を削ってものを書き、まったく贅沢をせず、人にだけはよいものをごちそうし、妻子をしっかり養って生涯を終えました。』
ばななさんに断られた隆明さんは笑顔でこう言ったそうです。
「いやぁ、そうかあ、まほちゃんもそんなにはないのかあ、まいったあ」
そして亡くなられた後に晶文社の太田社長が全集を出すことを仏前で誓ってくれたそうです。
「全集を出させてもらえるなんて嬉しい、自分の最後の仕事になってでもしっかりやります。吉本さんの仕事は残すべきものです。」
そのことでばななさんは救われたそうです。無理してでもお金を出すべきだったのかもしれないとずっと胸が痛かったから。スケールは違いますが、これってどんな人でも
ありそうな話ですよね。
自分の無力さを痛感し、自分の身勝手さを思い知る出来事。大切な人の望みさえ叶えてあげることのできない小さい自分。そんな人間の弱さみたいなものを、しっかりと体験してこられたからこそ(逃げずに)普遍的な世界中の誰もが感じられる慰みや癒しを描いた作品を書くことが出来るのかな?そんな事をこの本を読んで思いましたね。
楽で幸せな人なんかひとりもいない。だからこそ楽で幸せそうに、そう見せようとむりしないでもそう見えちゃうような生き方がさわやかだと思う。前にも書いたが、それがすべての理不尽なものに対しての、結局は最高の復讐なのだ。 p71