文章と心の中の部屋の関係の話
人に文章を読んでもらうって事は例えるなら自分の家に読み手を招き入れるって事だと思うんですよ。そのつもりはなくても。で、反対に誰かの文章を読むっていう事は
書き手の家にお邪魔させてもらうって事でもあるんだろうなぁとも思えます。その視点でいろんな人の文章を読んでみると結構面白かったりするので、ちょっと考えてみます。
文章の雰囲気を部屋の中の様子としてイメージしたりすると割りに大まかにその文章を書いた人の事を理解出来る気がします。これはプロの作家を読む場合でも、一般のブログを読む場合も変わらない気がします。
あぁキレイに片付けられた部屋だなぁ、とかごちゃごちゃしてるけどなんか面白ろそうな本とかゲームが転がってるなぁ、とか、めっちゃくちゃ実用的な部屋だなぁ、みたいな。
で、自分が書くという事に話を戻すと今度は反対にあぁこの人の部屋は居心地が良いなぁとか、反対になんか雰囲気わる〜、みたいな印象を与えてしまったりするわけですね。となると読んでもらう人に楽しんでもらいたいとか、書き手として好感を持ってもらいたいと思えば、自分のいわば「心象部屋」みたいなものの整理とか整頓は欠かせませんね。
いつどんなお客さんが来ても、まずお通しするリビングであったり、客間みたいな場所はとりあえず片付けてはおく。だけれどリビングや客間だけではやっぱり楽しさに限りがあるんですね。通りいっぺんの話になってしまう。だからちょっと気の合うお客さんに対しては、ちょっと面白い本がいくつかあるから書斎にどうぞ、みたいな。
で、やっぱり読んでて楽しくなる文章というのはやはり客間だけではなくて、家の中のいろんな部屋をのぞかせてくれるような文章でしょうか。村上春樹は常に地下二階にある秘密の扉を開けて物語の断片を見つけてくると、自らの小説作法を語っていますが、文章の究極はそのあたりにあるのでしょうね。
まぁ我々凡人がそこそこ他人様に楽しんでもらう文章を書こうとしたら、先ずはリビングや客間を整え、相手の様子を観察しながら、波長が合うようであれば、本来の自分が最も現れている書斎なり趣味の部屋に招待する、という感じで書いていけば良いのかな、と思えます。
2017/08/21