天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

記憶を保ったまま服を着替えるように身体を乗り換えれば人は不死になるのか?という話。

 

カノン (河出文庫)

カノン (河出文庫)

 

 

人とは何か?記憶こそがその人だ、という考え方がある。とすると記憶だけを保存して、服を着替えるように身体という器をどんどん変えていけば、記憶が消えない限りにおいては、その「人」はずっと生き続けている、ということなのだろうか。不老不死。その昔、栄華を極めた秦の始皇帝が最後に求めた者は永遠の命だったという。もしも進化し続ける医療技術によって人の記憶だけを乗り換えて行けば、ある意味永遠の命を手に入れるということなのだろうか。我々は遠くない未来に始皇帝さえ手に入れられなかった不老不死を手に入れることになるのだろうか。しかし今「永遠の命を手に入れたいですか?」と尋ねても、そこまでして欲しくはない、という意見の人が多数だろう。しかし、どうしてももう少し生きたい、生きねばならない、という事情を抱えている人も少なくないはずだ。例えばどうしても守らなくてはならない人がいる場合などは。今回紹介する本は記憶を司る海馬の移植が始まった時代をシュミレーションした小説である。

 

この小説は近未来、明記はされていないが2020年代後半くらいの時代設定。末期がんにおかされた58歳の男の病室にコーディネーターがやってくる。移植のための相手が見つかったそうだ。移植というのは脳の中の記憶を司る機関である海馬の移植である。その手術は脳間海馬移植と呼ばれ日本では今まで一件の術例しない始まったばかりの医療行為だ。相手方の年齢を聞くと32歳だという。若年性アルツハイマーに近い病気のため日に日に記憶が失われていき1年から2年の間には完全に記憶がなくなるらしい。男は移植によって自分が32歳の男としてもう一度生き直せるのか?と夢想する。しかし話は驚くべき方向へ向かう。なんと相手は女性らしい。そして4歳の子供がいるらしい。女は4歳の子供のために今回の移植を決意したのだという。つまり男は移植が成功したら母親として生きるということになる。

 

手術自体は成功する。どういう状態になったか?癌病棟で入院している58歳男性の海馬は急速に機能を衰えていく。32歳女性にはまだ充分元気な海馬が移植された。しかし基本的な問題がある。海馬移植のことは一親等の家族と数少ない例外以外には知られないようにしなければならない。なぜなら患者同士がお互いに術後接触してのトラブルを防ぐためである。だから男は女になるためのトレーニングを行わなければならない。歌舞伎役者の女形に女の動きを指導してもらう、ビデオで女性の映像を見て真似させるなどのトレーニング。そのあたりのディティールがすごい。トレーニングを終え男の海馬を持った女は家族の待つ家へ戻る。4歳の息子が駆け寄ってる。女の身体をもった男はとまどう・・・・。
というような話。

 

設定はSFだがジャーナリストである著者の集めた医療や脳科学の情報が豊富なためリアリティがある。そしてストーリーの展開もこうした設定の場合はおうおうにしておおげさなものになりそうだが、この小説の場合、拍子抜けするくらいに現実的な話に収束していく。描かれる登場人物たちの苦労は我々が日常で遭遇するトラブルばかり。職場での女性同士の嫉妬問題、よその子供に怪我をさせてしまう子供などなど。それらの問題をひとつひとつ地味に解決しながら「生きる」ことや「人とは何か?」を考えていくのがこの小説だ。かなり長いので正直途中で中だるみはしてしまう。しかしラスト10ページにおいてのサプライズと著者の生命に対するリスペクトが感じられて不覚にも泣いてしまった(いつものことだが 笑)面白い本という保証はしないが、読んでおいて絶対損のない本だというのは保証できる。上手く言い表すことは出来ないが、こんなに真摯という言葉が似合う小説はなかなかない。

 

その他、なるほどという箇所があったので抜粋(怒りについて)

 

・仏教の教えには『三毒』の煩悩という考え方がある。貧欲(とんよく)、愚痴、瞋恚(しんい)の三つだ。年老いれば自然に欲は枯れ、貧欲は消えて行く、悟りを開けば愚痴をこぼすこともなくなる。だがどんな高僧になっても消えないのが瞋恚、すなわち怒りである。なぜなら怒りは、自分が正しいという確信のコインの裏側であり、どんなに修行を積んでも、その確信は消し去れない。いや、修行するほど、業を積んだ自分は以前より高い次元に達したと思うのが普通であるから、その確信は堅固になり、それを相手に理解されなければ怒りは強まる。それは修行の長い旅路の果てに日が暮れて、ますます長く伸びる自らの影のようなものだ。p261

 

・「では、どうやって怒りをコントロールするのか。わたしはそのお坊さんに聞いたんです。答えは、怒りを否定するな。その向きを変えよ、とういうものでした」「これしかないんです。怒りはコントロールをしようと思ってもできない。ちょっと向きを変えて、エネルギーを解き放つしかない。しかし、コツさえ呑み込めば、さほど難しいことではない」p262

 

・鋭利な刃物を持って立ち向かってくる者を、説得しようとしてはならないのである。「やれるもんならやってみろ」と挑発してはならない。鋭い刃物はその人間の制御できない怒りの象徴であり、説得は逆上を、挑発は自らへの侮りによって怒りに油を注ぐものであるからだ。刃物を突き出す相手の腕の、目には見えない支えをひょいと軽く蹴飛ばし、意表をついて相手を面食らわせる。相手がバランスを崩してよろめく拍子に、手首をちょっとねじり、刃物を捨てさせる。そして何事もなかったかのように、静かに相手の目を見る。p263