天然誤読生活

誤読とそら耳を恐れない書評と音楽レビューとトンデモ理論を書き散らすハートに火をつけて(くれるかもしれない)ブログです。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのかを 教えてくれるのが人工知能かもしれないな、という話

 

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

 

 

人工知能が人間にとっていちばん役立つことは何か?
つまり人工知能の本当の仕事とは何か?
という著者の考え方がこの本の第二章に書いてあって面白い。

 

それは「自分とは何?つまり人間って何者なのか?」
という問題を考えるときに、
有効な補助線となるのが「人工知能だ」という考え方。

 

まぁ我々個人が「自分とは何?」って考えるときでも、
いちばん有効なのは「他者との比較」ですよね。
あいつと自分はこう違う。
だから自分という人間は〇〇なのだ、
と他者との違いを発見することによって、

はじめて「自分」という存在が認識できる。

 

同じように「人類という生物は何者なのか?」という
古来から延々と続く問いを考える際にも、
やっぱり「違う生物」との比較が必要になる。
人間以外の動物との比較でも、
生物学的な意味での比較検討はできるが、
やはり思考しない動物との比較だけでは
どうしても思考の幅に限界がある。
答えはまだ出ていない気がする。

 

でも人間の探究心はそのあたりで落ち着くことはできない。
だから人類は自分たち以外にも
知性がある存在を「発明」することによって
「人類とは何か?」を考える際の補助線としてきた。

それは神であったり、イデオロギーであったりする。
または遠い惑星からやってきた
知性を持った宇宙人の存在を想像して、
彼らと語り合ったりもする。

 

そのように人類は昔からずっとずっと
自分と違う知性との出会いを求めてきた。
たぶん寂しかったというのもあるし
やはり「自分とは何?」の答えを知りたかったのだろう。

 

で、人工知能というのはこれから
とても優秀な独自の知性を獲得するのは間違いないと思う。
神ってるという比喩があるが、
実際、我々が想像した神様以上の知性を獲得するのかもしれない。

だけど、
それは人間と同じ知性を獲得する、ということではない。
たぶん、全く違った新しい知性を持った存在へと進化していくと思う。

 

著者はAIという言葉を別な言い方で呼んだほうが良いと主張する。
AI(Artificial Intelligence)人工知能から
AI(Alien Intelligence)異質の知性へと
呼び方を変えた方が良いというアイデア

 

エイリアンなんですね、人工知能って。
我々人類の知性に追いついて、追い越そう、
みたいな競争をするわけではないんですね。
全く違った価値観と使命を持った新たな知性なんですね。

 

で、我々人類はその全く違った知性を持った
人工知能と語り合い議論し協力しあうことで、
もしかしたら今まで全く完成させることができなかった。
根本的な問い「人間っていったい何者なの?」
という問いに対する答えにようやくたどりつくのかもしれません。